もどかしかった。
どうにかして、自分の、この想いをわかって欲しいと思った。
当時のわたしにとっては、花が。
ほとんど唯一無二の、コミュニケーション・ツールだった。
言葉では、駄目だと思った。
英語が不自由だったせいも、勿論あるけれど。
それだけじゃない。
言葉にならない。
言葉にできないことの方が、大切だと思った。
言葉では掬いきれないことの方が、多分。
わたしにとっては、ずっと、肝心なことなのだ。
要するに、わたしは。
言葉というものを、あまり。
信用していないんだろうと思う。
言葉では、何とでも。
どんなことでも言える。
けど、その人の真実は、その行動に出ると。
わたしは、信じている。
わたしは、わたしの行動と、その結果で。
自分の誠実を、わかって欲しかった。
ここに、わたしの原点がある。
そうやって始まった、わたしの花は。
そのときから、多分。
今、現在に至るまで。
「お勉強」ではなく。
「趣味」というわけでもなく。
ある意味では、「お仕事」でさえないのだ。
それがきっと、わたしの「花」なのだ。
この先も。
何百回、何千回、何万回。
きっと、数え切れないほど。
何度でも壁にぶつかって、死ぬほど悩むだろうし。
そのたびに、毎回、この身を擦り減らして。
血を吐くような想いもするんだろうけど。
決して、流されず。
どんなときも、安易な方向に、逃げることのないように。
自分の原点を、いつでも。
思い出せるようにしておきたい。
おひさしぶりです
お久しぶりです。いろいろと、この2年間あって、いま、結構キツイ状態にいますが、この2年間ずっと定期的にこのブログを読んでいます。
MARIさんみたいに周りの状況がどうなっていても、自分のフォーカスを見失わず、自分に忠実に、厳しく楽しく美しく(笑)生きていける日が戻ってくることを夢みて、MARIさんの生活にインスパイアされています。
お久しぶりです!
ねこまるさん
ようこそいらっしゃいました!
わたしも、ああ今頃どうしていらっしゃるかなと、ねこまるさんのことをよく考えていました。
ねこまるさんがいつだったか、2年近く前のことになると思いますが、わたしにマザー・テレサの詩を贈ってくださったことを覚えていらっしゃいますか?
わたしはあの詩を、いつも手帳に挟んで持ち歩いています。
ねこまるさんのお心遣いで、あのときのわたしは本当に、救われたんですよ。
そのときのメールで、ねこまるさんは、彼女のことを評して「骨太で乾いたオプティミズム」と仰っていました。
あの詩を読んで、ああ、自分の信ずるところを、黙々とこなす人はこんなにも潔く美しいんだ、とわたしは思いました。
わたしにとっては、彼女の姿はハワードと重なります。
そして、こんな詩を贈ってくださるねこまるさんも、きっと同じ種類の人なんだろうと思っているんです。
生きてりゃ疲れることもありますよ。辛くて起き上がれないようなときだってあると思います。
そういうときは、前進的に逃避するのだって人間の知恵ですよ。ゆっくり休んで、また前を向けば良いんです。
ねこまるさんは、わたしにインスパイアされると仰ってくださいました。
わたしも同じように、ねこまるさんの言葉にインスパイアされています。
人に影響を与えることができる人は、本物です。間違いがないんですよ。
だからねこまるさんは、絶対に大丈夫です。
近いうちに、きっとどこかでお会いしましょう。ねこまるさんとは、必ずいつかお会いできると、何故だかわたし、確信しています。
ねこまるさんが、ねこまるさんらしくいられますように。
コメントの投稿