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雲竜柳、鉄砲百合、ヒペリカム、ゴッドセフィア
Wed.12.11.2008 Posted in flowers


「父は広葉ということばを教えてくれた。桐の葉のうえに赤い花黄色い花をたくみに塩梅して見せた。
「ここにこれを置こうかな、いやいやこの花の方がいい」などと父は置いたりはずしたりして、工夫して見せてくれ、見ているうちに私はむんむんのぼせるような、そわそわした気持ちになった。

桐の一皿は私を夢中にした。わかったのだった」



                                    (-幸田文『父・こんなこと』より)




この後、文は「竜のひげを毟り、着物でごしごし拭いて艶を出し」、「紅白の芙蓉をもぎとり」、そうやって庭に咲く花を刺身の一皿に見たて、その父・露伴に捧げるわけです。

すると、露伴が「源平つくりわけか」と言って喜ぶ、という。


花を活けているときのわたしの気持ちは、この随筆に活写される、幼い頃の幸田文の興奮にとてもよく似ていると思います。


足したり引いたり、挿したり抜いたりして、色々な角度からためつすがめつしていると、あるとき。


「あ、これだ」と。
わかる瞬間がある。

理屈でなく、体感的にわかる快感。
どうしてわかったんだかわからないけどわかる、という感覚。


昔、歌の勉強をしていたときも、そういう瞬間が時々あって、それはわたしを夢中にさせた。

語学を勉強したり、修士論文を書いていたときにも、そういう「わかる」波がやってくることがあった。
大波もさざなみも小波も色々だったけど、その感覚は、とてもエキサイティングで。

いいようのない高揚感をもたらすものだった。


分け入っても分け入っても深い山、のような時期は辛いけど、そういつまでも長くは続かない。
あ、ここが「そこ」だ、と。

そのうち必ずわかるときがくる。

わたしは、その点では自分を信頼しても大丈夫らしい。



自分の中の創造的な力が活性化してくるのを意識すると、心身が喜ぶということだろう。

つまり、水を得た魚だな。


そういう瞬間をひとつひとつ、楽しみながら積み重ねていくことが。
わたしにとっては「生きる」ということなのだ、と。


あらためて、つくづく感ずることのできる幸せ。


細胞の一つ一つに、酸素が行き渡ってくるようなフレッシュな気分。


081112.jpg


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